悲しみの隣の
小さな保健室

small infirmary next to sadness

「さようなら」の悲しみや痛み、別れへの不安をひとりぼっちで抱えていませんか?
グリーフケアで、あなたの背をやわらかく優しくさすれるように。

MENU

「さようなら」の悲しみや痛みの保健室を目指して ~グリーフケアのことを少しずつお届けしていきたいと思っています~

マミコちゃんがグリーフケアの保健室するでち!

はじめまして!
サヨナラの痛みと哀しみに優しく絆創膏を貼る「心の保健室」を目指しているマミコです。

2019年より、「手のひらサイズの幸せ」というブログを通して、カウンセラーとして活動をしています。

* * *

人生には突然、思いがない『まさか』がやってくることがありますよね。

学校で自分を理解してくれた先生とのお別れや、仲の良かったお友達とクラス替えで別々になってしまうこと。

希望していた志望校に入れず、浪人することで『同い年の仲間』という世界を喪失すること。

親離れ・子離れといった、独立して行くことで感じる喜ばしさと少しの寂しさ。

この人は運命の人だ!と思うくらい大好きだったのに、どうかしてか恋人と別れることになった時の失恋の悲しみや苦しみ。

社会情勢や様々な事情で、業績不振から会社がなくなってしまったり、リストラなどで勤めていた場所や役割を失うこと。

生涯の愛を誓ったけれど、どうすることもできなくなってしまい離婚を経験すること。

健康が取り柄だったのに、大きなけがや病気で日常生活を失ってしまうこと。

突然の自然災害で、愛する人や家、思い出などをなくしてしまうこと。

私たちよりも「生きる時間」が早い速度で進んでしまうため、かわいがっていたペットを見送ること。

家族や仕事関係、知り合った人がこの地上の魂の活動を終え、死を迎えてお別れをすること。

あれこれ書いてみたら、なんだかグッと胸が締め付けられるような重たい感じがしちゃいましたが、私たちは生きている間に、さまざまな『喪失』を体験しています。

そして、愛着のある対象や大切な環境、手にしていた大事なものを失った時に、私たちは強い失望感を抱き、大きな衝撃と共に深い悲しみや絶望に見舞われます。

喪失を体験した時に起きる悲嘆の反応を、グリーフと呼びます。

* * *

特に「死別」は、愛する対象との絶対的な別れのため、心も身体も、とても大きな衝撃を受けます。

あまりに大きな痛みや悲しみゆえに、感情や思考を遮断して「何も感じなくなる」ようにすることで、自分を守ろうとすることすらあります。

もう、会えない。
もう、触れられない。
もう、一緒の未来を歩けない。

愛しているからこそ、喪失対象への思いがあふれて恋しく思う『思慕』や、先立った命に対してできなかったことへの『負い目』を感じたり、自分を残していってしまった人への『怒り』を感じることがあります。

死別を体験すると世界は色や光を失い、自分の身に起きた理不尽極まりない出来事を呪いたくなります。

体は疲れ切っていても眠れなくなったり、何も食べれない、食べても砂を噛むようで味を感じられなくなったり、自分自身の身の回りに気を使うことができなくなったりします。

自分の悲しみを嘆き、世界から取り残されたような疎外感を感じ、うつ状態で哀しみに飲み込まれながらも、早く気持ちを立て直さなくてはと焦燥感にかられたり、自責・他責といったモヤモヤした感情を味わいます。

外の世界が煩わしく感じられてしまい、家の中に引きこもるようになることもあります。

それでも、喪失の苦しみを感じているすべての人は、現実を受け入れて立ち直らなくてはいけないと、揺れ動く感情の中でも必死に頑張ろうとします。
もがきながら、嘆きながら、理不尽で耐えがたい「喪失」をなんかして受け入れなくてはと、懸命に現実に適応しようと努力します。

哀しみの中で、感情と理性は絶えず揺れ動き、変化します。

1日の中でも「大丈夫」だと思えた次の瞬間に、「もうダメだ」と落ち込んでしまう…というように、とらえどころがなく激しい揺れ動きに疲れ切ってしまいます。

* * *

グリーフ(Grief)とは、直訳すると『悲嘆』という意味の言葉です。

グリーフは、自分にとって「愛着のあるもの」「大切なもの」「依存している対象」を失ったとき、また、失うかもしれないと思った想像したときに起きる、ごく自然な心と身体の反応のこと。

悲しみに飲まれたり、スピリチュアルな問いを持ってみたり、疎外感や強い思慕に苛まれたり、不安でいてもたってもいられなくなったりすることは、何もおかしなことではなく、悲嘆の反応として『ごく自然』なことです。

だからね、揺れ動く自分のことを否定しないでください。

おかしなことなんかではありません。
愛しているからこそ、体も心も揺れ動いているのですから。

当然ですが、グリーフは喪失した対象が「大切であればあるほど」「かけがえがない存在」であればあるほど、大きくなるのは自然なことです。

喪失というのは、とても理不尽で耐えがたく、受け入れることは困難なものばかりです。

それでも私たちには、『レジリエンス』と呼ばれるしなやかに立ち直っていく力が備わっていて、時間がかかったり、全く前と同じようにはなれなくとも、少しずつ喪失との折り合いをつけていくことができると言われています。

でもね、折り合いをつけられると言われても、簡単なことではありません。

世界中で、全く同じグリーフはなく、ひとつひとつが唯一無二の、他とは比べることのできないものです。
だから、回復していくのにかかる時間だって、人それぞれ全く違います。

死別の経験やグリーフに同じものは二つとないと書きましたが、どの死別にも共通したことがひとつあります。

それは、『苦痛』です。

愛する存在を失った人は、誰もが耐え難い感情的な苦痛を味わいます。
感情的な苦しみだけではなく、どこも悪くないのに、肉体に痛みを感じるという人もいます。

それだけ、耐えがたい体験なんです。
それだけ、受け入れがたい出来事なんです。

人間関係の喪失の中で、最も大きく強い喪失は『身近な人との死別』ですが、失恋や離婚といった事柄も「関係性が死を迎える」ような喪失体験です。

『死別』という観点で見ると、愛するペットとの死別も、耐えがたい喪失体験です。

そして、グリーフ(悲嘆反応)は、実際に「喪失を体験した後」だけではなく、喪失を「予期・想像したとき」にも同じように感情面・身体面に影響を及ぼします。

死を含む様々な喪失は、理不尽過ぎて納得することなんてできないですし、もう一度会いたいという切なる願いは、どんなに祈っても叶うことがありません。

現実感のないフワフワとした感じ、やり場のない後悔や自責の気持ち、他責や処罰感情といった激しく強い感情、身体的な不調、生きる力すら持てない絶望的な気分、会いたくて焦がれる切ない思い、泣いても泣いてもあふれてくる涙。

グリーフをすぐに消し去る魔法があればいいけれど、残念ながら、悲嘆はそれを受けとめて乗り越えていくことしかできません。

受け入れ、乗り越えるには、どうしたって時間がかかります。
途方に暮れてしまうくらい、先が見えずに立ち尽くしてしまいます。

悲嘆はごく正常な反応とはいえ、ひとりぼっちで抱えるには強くて大き過ぎるものです。

何もかもを抱え込まなくていいんです。
その悲しみを、その痛みを、ただ胸の内をあかして分かってもらっていいんです。

哀しみを消し去る魔法はないけれど、哀しみを一緒に持ってくれる人と共に、揺れ動くままの自分を助けてもらっていいんです。

ただ分かってくれる場所があること。
ただ分かってくれる人がいること。

それが、グリーフを癒していくための優しい支えになります。

願わくば私が、グリーフを抱えているあなたの「安全で優しい理解者」になれますように。
私がこの先、さようならの哀しみの側で、あなたが少しでもホッとできる時間を持つための一助になれますように。

失恋、離別、死別、ペットロス、予期グリーフ。
様々な「サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室」として、ここから少しずつ、グリーフケアについてお届けしていきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。

  • HOME
  • >
  • 喪失ケア
  • >
  • 「さようなら」の悲しみや痛みの保健室を目指して ~グリーフケアのことを少しずつお届けしていきたいと思っています~